神様の「恵み」とは?
I. 初めに
現代の私たちに対する神様の態度は、恵みとあわれみと平和に満ちています。恵みとは、「あふれるばかりの神様の好意」です。神様は、私たちに好意を示されますが、私たちにはそれを受け取る資格がありません。ですから、私たちは救いをただで受けるのです。恵みという言葉は、聖書の中に160回以上出てきます。そのうち128回は新約聖書に出てきます。神様は、「あらゆる恵みに満ちた神」と呼ばれるのです(1ペテロ5:10)。 キリストは、「恵みに満ちているおかた」(ヨハネ1:14)です。聖霊は、「恵みの御霊」と呼ばれます(へブル10:29)。このようにして、三位一体の神様は、恵みで密接につながっているのです。
II. 定義
旧約聖書で恵みという語は、「身分の低い者に対して親切にするとか、身をかがめる」という意味で使われています。新約聖書では、「好意、誠意、慈愛」を意味します。
以下の定義は、恵みとは何かをよく説明しています。
A. 恵みとは、それを受けるにふさわしくない対象に対して示された、愛です。神様は愛です。しかし、その愛が、犯罪者や汚れた者や神に逆らう罪人に注がれると、それは恵みです。
B. 愛が上に向けられると、それは礼拝です。愛が自分と同じ目の高さの者に向けられると、それは愛情です。愛が下に向けて降り注がれると、それは恵みです。
C. 恵みとは、怒りと裁きしか受ける資格のない私たちに、愛とあわれみだけを示してくださる神様です。無限の愛を持って、私たちの方に身をかがめてくださるお方が神様です。
D. 恵みは、地上の最悪のものを救うために、天国の最上のものを与えてくださる神様にあります。
III. 恵みと行いの違い
恵みと行ないを混同しないでください。もし人が良い行ないをして救いを手に入れることができるなら、救いはその見返りとしての報酬にしか過ぎません。 ローマ4:4-5; ローマ11:6 神様は、人に何かをあげる義務はありません。救いは一方的な贈り物なのです。
恵みと律法を混同しないでください。人は、律法を守り行っても救われません。恵みによって救われます。この違いを、分かり易く以下で説明しています。
A. 律法は、人がすべきことを要求します。
恵みは、人がしてもらったことを知らせます。
B. 律法は言います。「これをしなさい。そうすれば、あなたは生きるでしょう。」
恵みは言います。「生きなさい。そうすれば、あなたはそれをすることができるでしょう。」
C. 律法は言います。「主であるあなたの神様を愛さなければならない。」
恵みは言います。「神様は、この世をとても愛された。」 ヨハネ3:16
「神様がまず私たちを愛してくださったので、神様を愛します。」 1ヨハネ4:19
D. 律法は、最高の行いであっても欠陥を見つけて責め立てます。 ローマ3:20
恵みは、最悪のものを救います。 ローマ3:24; 4:5
E. 律法は、罪を明らかにします。 ローマ3:20
恵みは、救いを明らかにします。 テトス2:11-13
IV. 恵みの必要性
人は罪深く、神様のきよい律法に背きます。 ローマ3:23; コロサイ1:21 ですから、人は神様の裁きを受ける資格しかありません。
人は神様のきよい律法を破ったので、神様の法廷では有罪となります。 ローマ3:19: ガラテヤ3:10; ヤコブ2:10 そういうわけで、本来は、人は神様の呪いを受けるほかありません。
人は、神様の御子を拒み、殺したので、神様に自分の権利を要求して訴えることはできません。 ヨハネ12:31-33; 3:18
V. 恵みによる救い
もし人が救われるとするなら、それは神様の恵みによるしかありません。私たちは誰一人、救いを受ける資格はありません。「この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」 エペソ1:7 しかし、神様は聖なるお方なので、罪を見過ごすことができません。罪は罰せられなければならないのです。十字架のすべて意味は、ここにかかっています。福音は、神様はきよいお方でありながら、罪人を恵みによってどのように救うことがおできになるか、を告げています。
大事なことは、罪に対する神様の怒りと裁きをキリストが受けられたという点です。人の行ないではなく、キリストのみわざによって、神様は、主イエス・キリストを信頼する人々の罪を赦されます。殺された子羊なるキリストは、あがないのわざをなし遂げられました。恵みは、救いを求める罪人に信仰のみを求めます。エペソ2:8-9
VI. 恵みによる祝福
恵みによる祝福は、罪人にすばらしい結果をたくさんもたらします。その中でもっとも大きなものは、次の3つです。
A. 救い ― テトス2:11-13は、生まれ変わったクリスチャンが、永遠の命を持っていること言っています。「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。」 ヨハネ10:28
B. 義とされること ― ローマ5:1は、キリストを信じた罪人を、神様が無罪とみなしてくださること言っています。「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」 ローマ5:1
C. 神様のみ前に立つ ― ローマ5:2は、真の信仰者が、祈りによって神様のみ前に行くことができることを意味します。もはや、罪によって神様から引き離されていません。「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」 ヘブル4:14-16